今日は、在宅ワーク拠点から、品川まで散歩。
品川駅の「南」に、(ややこしいけど)京急の北品川駅があります。
[北品川駅]
この北品川駅の隣から、昔にぎやかな往来のあった、旧東海道の街道があります。
[北品川駅横の踏切のあたりから、旧東海道の街道が続きます]
今日のお目当てはこれ。前からこの街道を歩いてみたかったんだよね。
前回、浮世絵展で、品川宿から見た風景がとても綺麗で、昔はこの横は海だったんだよな、なんて思いながら歩きました。
江戸時代は海辺で、遠くに富士山が見渡せました。
途中、北品川にある、ロビンソンクルーソーカレーハウスで、御殿山カレー(キーマカレー)Lサイズ950円をいただきました。
10辛(+100円)を選びましたが、あんまり辛くない。これなら50辛は余裕だったな。
そうですね。。。普通に、美味しいカレーだと思います。
なぜか勘定は、1000円でした。ひょっとして10辛ではなく5辛だった?まぁいいか。
北品川から新馬場まで、商店街が続きますが、そこまで活気がある感じではありません。
かといって、観光客目当てという感じでもなく、地元の人のための店ですね。
あまり、観光地化はされていないようです。
[旧東海道沿いの店]
東海道沿いを少し海側に入ってみました。
大正時代の橋がかかるなど、雰囲気ありますね。
屋形船が多く停泊するエリアに来ました。
[品川浦船留まり]
停泊した屋形船で宴会しているグループを発見。
なるほど。船の上は開放感あって、密にならずにすむからよいかもです。
屋形船の皆さんも、コロナにめげずに、頑張ってほしいですね。
[鯨塚(奥にあります)]
1788年に、一匹の大きな鯨が迷い込み、漁師によって捕獲され、その供養のための塚が利田神社の隣にあります。
[利田神社]
さらに進むと、台場小学校があり、その横に、御殿山下台場砲台跡があります。
[御殿山下台場砲台跡]
1853年のペリー来航で脅威を感じた江戸幕府が築造した砲台のうちの一つです。
五角形の砲台で今での街並みにその面影を残します。
灯台はその後に建てられた灯台のレプリカで、本物は明治村にあるそうです。
東海道に戻ります。
街道沿いには松が植えられています。
この松は、袋井宿から寄贈されたものだそうです。
品海公園に来ました。
品川宿の碑があります。
[品海公園]
この街道は3kmほど続きます。
街道沿いにはお寺や神社も非常に多いです。
震災や戦争の影響を受けなかった地区だそうです。
天保の大飢饉の際は多くの人が亡くなったそうで、この法禅寺にまつられているそうです。
ここには昔、品川小学校がありました。
[法禅寺]
路地も多く、ノスタルジックで良い雰囲気ですね。
本陣跡にやってきました。現在は聖蹟公園として区民憩いの場となっています。
ただ、面影は全くないですね。もうちょっと、整備すればよいのにね。
[聖蹟公園(品川宿本陣跡)]
目黒川を渡ります。
目黒川にはいくつも橋がかかり、この川に沿ってウォーキングも気持ちよさそうです。
レトロな家もありました。
少し海側に入った路地には、今でも海岸線の堤が残っています。
また、東海道に戻ります。
松が所々に植わっていますね。
荒神さまにやってきました。
[海雲寺 千躰荒神堂]
本堂はなかなか立派です。
立会川が近くなってきました。
ここにかかる橋は、浜川橋となっていますが、以前は、泪橋と言われていました。
立派なコンクリートの橋です。
鈴ヶ森刑場に行く罪人が、この世や家族との最後の別れを惜しんだ場所なんだそうです。
泪橋から少し海側に歩くと、海にたどり着きます。
今でも多くの船が泊まっています。
浜川砲台跡があると地図にあったのですが、何もありませんでした。
やはり3kmはなかなか遠いね。晴れてきました。
[綺麗に整備された旧東海道]
この旅の終点は、ハッピーエンドで終わりたいところですが、残念ながら、大森にある鈴ヶ森刑場です。
江戸時代に多くの裁きがあり、220年の間に数十万人が、ここで刑を執行されました。
井原西鶴の『好色五人女』で、一躍有名となった、八百屋お七もここで亡くなっています。
[鈴ヶ森刑場]
悲しい場所ですね。。。
[首洗いの井戸]
江戸への入り口に位置しているので、見せしめの意味もあったのでしょうね。
明治4年まで使われていたというから驚きです。