クロアチア・スプリト(Split) : JK徒然日記

2019年07月31日

クロアチア・スプリト(Split)

スプリットはクロアチア第二の都市で、人口約20万人。
スプリットはディオクレティアヌスの終の住処(宮殿)として建設されました。
この皇帝はテルマエロマエでも有名なお風呂好きな人です。
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[宮殿時代のスプリト]
西ローマ帝国で20年ほど皇帝を務め、セルビア、トルコ、エジプトあたりまでローマ帝国が領土を持ってい他、時代の皇帝です。
広大な領土を統治するため、4人に任せました。
ローマ帝国は3世紀くらいから軍人から皇帝を出すようになり、20人くらいの軍人が代わる代わる皇帝になりました。
ディオクレティアヌス帝は、元々は、解放奴隷の子供出身で、元老院で働いていました。
その後、書記官として出世し、軍団を率いてペルシア戦争で功績を出し、皇帝に上り詰めました。
この時期の皇帝は戦死するか暗殺される場合が多かったのですが、彼は305年で引退し、スプリットを作りました。
旧市街は世界遺産に指定され、1700年に現在の市街が完成さかました。
旧市街は、四つの門があり、17世紀にニックネームが付けられて、それぞれ金、銀、青銅、鉄の門と名付けられています。
北地区は兵士などの宿舎になっていました。
また、17世紀から18世紀にかけて、城壁部分の二階に住居が作られました。
4世紀に、サロナ(Salona)では最盛期を迎え6万人がくらしていました。
スプリットから北に8km離れたところにありました。
現在はソリン(Solin)と呼ばれている都市です。
しかし南下してきたスラブ人に追われ、現在のスプリット旧市街に7世紀ごろ住み着いたそうです。
1950年まで地下はゴミの山で、遺産価値に気づいてゴミは撤去されました。
中に入ると、柱は石ですが、天井は石灰石、水、卵白を混ぜて作られています。
セメントみたいですね。
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ブラチ(Brač)島の石材が主に使われています。
この島の石材は、イスタンブール アヤソフィア宮殿などにも利用されています。
スプリットは3世紀頃はギリシャ人の支配下にあり、エニシダを植えていました。
エニシダを今も再生して植えています。
ギリシャ人はエニシダの事を当時、アスパラトスと言っていて、その後、ローマ人がスパルトと言い、スラブ人がスプリットと言うようになったのが、街の名前の起源です。
旧市街に入ると硫黄の匂いが漂ってきます。温泉もあります。
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[旧市硫黄温泉]
ディオクレティアヌス帝は、自分の出身に近く、温泉がわいたこの地を終の住処に選びましました。
共和国広場は、向かって左はベルビューホテル、右は飲食店、語学学校があります。日本語も教えているそうです。
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[共和国広場]
旧市硫黄温泉の隣に魚市場があります。魚は蝿がたかりますが、蝿は硫黄が嫌いなため、隣にあります。
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[魚市場]
ナロドニ広場は別名、人民広場とも言い、旧市庁舎があります。
ナロドニとは英語でナショナル、国民と言う意味です。
クロアチアで有名な、aquaブランドのショップもあります。
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[ナロドニ広場]
このあたりは民宿(Sobe)も多くあります。
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[Sobeには必ず青い看板が掲げられています]
旧市街の人口は10世紀には6000人いましたが、いまは600人しかいないそうです。
旧市庁舎はゴシック様式で、先の尖ったポインテッドアーチがゴシックを表しています。
路地にはベネチア共和国だった名残か、外観にこだわるイタリアンな店が多く、眼鏡屋なども見られます。
四つの門のうち、金の門がもっとも重要です。なぜなら追われた地であるサロナに続く門だからです。
金の門を見ると、二重の門になっています。敵が第一関門を突破したら、門の中に閉じ込めて、熱したオリーブ油をかけて撃退したそうです。
大聖堂は高さ60m、180段の階段があり、13-15世紀に出来ました。
登ってみましたよ!
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[大聖堂]
ディオクレティアヌス帝はエジプトを統治していたこともあり、エジプトが好きで、大理石と12体の3500年前のスフィンクスを置いていました。
しかし、キリスト教を迫害した最後の帝王だったディオクレティアヌス亡き後、人々はディオクレティアヌスに怒りを表し、スフィンクスなどを埋めてしまいました。
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[大聖堂からの眺め(旧市街地方面)]
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[大聖堂からの眺め(新市街方面)]
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[大聖堂からの眺め(港方面)]
皇帝のテラス前は、皇帝や貴族が食事をする場になっていて、テーブルが丸かったため、今でもその面影を残しています。
食べすぎてはもどして、また食べてを繰り返したそうです。
現在、旧市街の土地は国所有、家は個人所有が多いです。
20世紀はスラム街になっていて、貧しい人が住むエリアとのことですが、州は家の買い上げに興味ないため、個人所有が残っています。
第二次世界大戦の時、ドイツ軍が爆弾しました。その際、アメリカの攻撃にあい、皇帝のテラスのあたりは破壊されています。
皇帝のテラスのあたりは東西に、皇帝のお散歩コースになっていました。

しかし、4世紀に作られた42の窓は健在です。
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4世紀に作られた窓枠はとてもしっかりしていて、14世紀に作られた石積みと比較しても、しっかりしています。
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地震がある国ですが、地震で崩れた後、窓を再建しました。
洗礼堂は、元々はモザイク画、金、色ガラスで装飾され、ディオクレティアヌス帝は自身をユピテル、英語でいうとジュピターになぞらえました。ジュピターは、ゼウスであり、太陽神です。洗礼堂から差し込む光で自身を照らして神格化したのでしょうか?
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[洗礼堂]
洗礼堂内では、ちょうど歌い手さんが合唱していました。
CDを売っていました。
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旧市街散策は、歴史を感じられてとても良いですね。
posted by jouji117 at 12:33| 香川 ☀| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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